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2023.10.10

般若寺―歴史の舞台と四季の花々

綴る奈良
コスモス寺で有名な般若寺

南都の北限に位置する「般若寺(はんにゃじ)」は、数々の兵火にみまわれながらも、その都度復興を果たしてきた古刹です。今では「コスモス寺」の愛称で親しまれるとともに「関西花の寺第17番」としても知られ、四季それぞれに大切に育てられた花が、私たちの目を楽しませてくれます。

南都の北玄関、般若路

かつて、京都から奈良を目指して京街道を歩いてきた人たちが、奈良坂を越えて初めて目にした寺院が般若寺です。佐保山と呼ばれる丘陵の東端にあたる一帯は、古くから北山とも呼ばれ、そこを通る道は般若路とも呼ばれたようです。東大寺大仏殿の大屋根を南東に見おろすこの場所で、旅人は無事に南都入りしたことを実感したのではないでしょうか。

大和名所図会」奈良坂、般若路でくつろぐ旅人(奈良県立図書情報館蔵)

- 「大和名所図会」奈良坂、般若路でくつろぐ旅人(奈良県立図書情報館蔵)

現在、般若寺の入口は旧街道の東を並走するバイパス側にありますが、江戸時代の1791年に刊行された「大和名所図会」には、西側の楼門から人々が出入りする様子が描かれています。この楼門とよく似た形式は石上神宮や長岳寺(ともに天理市、山の辺の道沿い)にも現存するものの、唯一国宝に指定されている般若寺楼門は、上層の意匠や軽快な反りの屋根がひときわ印象的であり、今も変わらず旧街道沿いに建つその威容に、それぞれの時代に行き交った人びとが思い起こされます。

街道に面した楼門(左下)と般若寺境内(「大和名所図会」)

- 街道に面した楼門(左下)と般若寺境内(「大和名所図会」)

国宝 般若寺楼門

- 国宝の般若寺楼門

南都焼討後再興も数々の兵火に遭遇

奈良時代に平城京の鬼門を守るため聖武天皇が建立したと伝わる般若寺ですが、南都の北玄関という場所柄、何度も兵火に遭い、そのたびに伽藍の多くや宝物を失いました。創建年には諸説あるようですが、境内からは天平時代の古瓦が出土しており、古くからこの地に寺院があったことは間違いありません。

般若寺が最初に灰燼に帰した戦乱は1180年、『平家物語』にその様子が記されている「南都焼討」です。平重衡らによって同時に焼け落とされた東大寺大仏の再興から約半世紀後、13世紀後半に西大寺の叡尊(えいそん)上人らによって般若寺の伽藍が再建されました。しかし15世紀末には再び、大和武士の戦乱や火災などで伽藍の大半と本尊の文殊菩薩像を焼失。さらに1567年の三好三人衆と松永久秀の戦いの兵火にも遭遇し、再建された堂宇を焼失します。加えて1596年に起きた慶長地震の被害も甚大で、寺観は衰退するばかりでした。現在の本堂が再建されたのは、戦乱の世が終わり徳川将軍も第4代となった1667年のこと。十三重石宝塔(じゅうさんじゅうせきほうとう)と経蔵(いずれも重要文化財)、楼門(国宝)、そして本尊の八字文殊菩薩騎獅像(1324年)などが鎌倉時代から今に伝わります。

コスモスと般若寺本堂

石工、伊行末と行吉父子

般若寺境内で中心的な位置を占めているのが、1253年に造立され、日本の代表的な石造塔婆(とうば)として広く知られる「十三重石宝塔」です。南都焼討で荒廃した般若寺の復興は、観良上人が勧進したこの石塔の造立が契機になったといわれます。石工は、宋から渡来して大仏再建にもたずさわった伊行末(いぎょうまつ)と伊行吉(いぎょうきち)の父子らでした。

般若寺の鎌倉時代から残る経蔵と十三重石宝塔

- 鎌倉時代から残る経蔵と十三重石宝塔

基壇を含む総高は十三重石塔として最大級の14.2メートルもあり、初重軸石の四面にはそれぞれ、薬師、阿弥陀、釈迦、弥勒の四方仏が線刻されています。昭和の解体修理の際には、白鳳時代の阿弥陀如来立像や胎内仏、舎利塔や経典など多くの納入品が発見され、現在では秘仏特別公開期間のみ拝観することができます。

また本堂の東側に立つ「笠塔婆」は、般若寺の南側にあった南都の総墓「般若野(はんにゃの)」の入口から、明治時代の廃仏毀釈時に移設されました。伊行吉が父母の供養のために建てた笠塔婆形式の石塔では日本最古の作例であり、謡曲『笠塔婆』の題材ともなった石造物です。

般若寺の十三重石宝塔に線刻された四方仏

- 十三重石宝塔に線刻された四方仏

般若寺の謡曲の題材にもなった笠塔婆

- 謡曲の題材にもなった笠塔婆

大塔宮が潜んだ経蔵

鎌倉時代の建造物としてもう一つ残るのが、十三重石宝塔の東にある「経蔵(きょうぞう)」です。14世紀南北朝時代の動乱期、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王が般若寺にかくまわれていた際、経蔵にある大般若経の入った唐櫃に潜んで命拾いしたエピソードが、軍記物語『太平記』に記されています。大正時代の小学唱歌「大塔宮」には、「氷の刃(やいば)御腹(みはら)に当てて、経巻かづき、かたずをのみて、忍びおはしし般若寺あはれ」の歌詞があるそうです。

般若寺の経蔵

- 大塔宮が潜んだという経蔵

花の寺、般若寺

古い歴史を持ち、数々の文学作品の中に登場する般若寺ですが、かつては現在のように多くの参拝者が訪れるお寺ではなかったのだとか。そこで少しでも参拝者によろこんでもらおうと約半世紀前に植え始めたのがコスモスでした。今ではボランティア団体もでき、1株1株丁寧に栽培が続けられています。かつて戦乱に巻き込まれ踏み荒らされた境内に、人々の手で大切に育てられた四季折々の花々が、美しくそして力づよく咲き誇ります。

般若寺の冬は水仙に包まれる観音石仏

- 冬は水仙に包まれる観音石仏

春は山吹が咲き誇る般若寺

- 春は山吹が咲き誇る

般若寺のアジサイボール

- SNSでも人気のガラスボールのアジサイ

般若寺の秋の風物詩「コスモスグラスキューブ」

- 秋の風物詩「コスモスグラスキューブ」

般若寺へのアクセス

近鉄奈良駅前から奈良交通バスで「般若寺」下車すぐ。

関連サイト

法性山 般若寺

主な参考文献

『大和古寺大観』岩波書店 1977
『大和の古寺』岩波書店 2009


※2023年10月現在の情報です。