お客さまと登大路ホテル、そして奈良をおつなぎする「登大路だより」。今回は、「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉と、奈良のかかわりについてご紹介いたします。宮城県生まれ、東京育ちの志賀直哉は、42歳から55歳の壮年期を奈良で過ごしました。多くの時間を過ごしたのが、上高畑(かみたかばたけ)の邸宅です
引っ越し魔の「小説の神様」が自ら設計した新居
志賀直哉、昭和4年奈良にて(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
『城崎にて』など、教科書に掲載される文豪のイメージがつよい志賀直哉(1883~1971)。大人になって改めて志賀作品に触れると、美しくシェイプされた簡潔な表現に、文章を読む楽しさを再発見する心持ちがします。それはまるで、「修学旅行では気づかなかった、大人になって知る奈良の魅力」に似ていると言うと、志賀直哉に叱られるでしょうか。
広島の尾道や千葉の我孫子など、生涯に30回以上転居をしたという志賀直哉。京都郊外の山科から奈良市内の借家に移り住んだのは、今から約100年前の大正14(1925)年、42歳のことでした。
知人の勧めのほか、折に触れ訪れていたあこがれの地でもあり、さらには直哉が企画にたずさわった古美術写真集『座右宝(ざうほう)』の編集制作のためであったともいわれます。
昭和4(1929)年、46歳の直哉は、春日大社の南に隣接する上高畑(かみたかばたけ)に自邸を新築します。一帯はかつて、春日の神官たちが住む「社家町(しゃけまち)」とよばれたエリア。435坪の広々とした敷地に、仕事場と住居と社交場を兼ね備えた延べ床面積134坪の邸宅は、直哉が自ら設計し、宮大工たちによって建てられました。
前庭の池から書斎や客間を望む
壁につくり付けの牛革ソファもある食堂
「必要な事だけを単純化して、美しい所を備へてゐれば、居心地のよい家になる」、「折角面白く作つても、必然さのないものは、本統の意味の面白さがない」と直哉が書き残したとおり、コルクを敷きつめた子ども部屋や、台所と食堂の両側から使える戸棚、光のふりそそぐサンルームなど、西洋と東洋の様式を自在に取り入れた各部屋の趣向は、子どもたちを見守るための工夫や、家事のしやすい動線、主客が分けへだてなく交流できる間取りや家具など、必然と洗練が生みだした美しさです。
隣室から見守ることができる子ども部屋と、当時珍しいシャワーもあった浴室(復元)
麻雀三昧!? 奈良での13年間と『暗夜行路』の完成
自らの文学観、そして人生観を投影した家を完成させた志賀直哉ですが、最初の4年はほぼ休筆状態。たまに随筆を書く程度でした。『志賀直哉全集』に残されている「日記」をひもとくと、昭和6(1931)年1月には知人に誘われ花園ラグビー場を見物、別の日には初代通天閣がそびえる「新世界」や道頓堀で活動映画を3本ハシゴ、また妻の康子(さだこ)や学校帰りの子どもたちを連れて心斎橋の大丸へ買い物や観劇など、電車で足しげく大阪に出かける様子も。そして、日記に数多く登場するものの一つが「麻雀」です。来客とだけでなく、家族でも頻繁に卓を囲んで楽しんだようです。
何ものにも代えがたい「インプット」の期間を経て、奈良在住後半の直哉は、印象的な短編をいくつも「アウトプット」しています。昭和8(1933)年に書かれた『万暦赤絵(ばんれきあかえ)』は、直哉の美意識や家族のくらしぶりがいきいきと感じられる小品。奈良の地で読んでいただきたい作品のひとつです。
開放的な天井のサンルーム、裏庭から眺めるとごく和風に見える
昭和12(1937)年2月20日の日記には、「五十四回目の誕生日 (略)仕事捗(はかど)る」の記載、そして3月1日の日記に、「『暗夜行路』五十三枚程とうとう書き上げた」の一行が。着手から26年もの歳月を要した代表作『暗夜行路』が、奈良の地で完成した歴史的瞬間でした。
重厚な肘掛椅子を備えた1階北向きの書斎、『暗夜行路』は南向きの2階の一室で完成した
「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなる」
『暗夜行路』が完成した翌年の昭和13(1938)年、直哉は子どもたちの進学などに伴い、東京へ転居することを決意します。東京へ発つ直前にしたためられた「奈良」という随筆にある、「(奈良は)食ひものはうまい物のない所だ」という一文がたびたび引用されてしまうのですが、続きを読むと、わらび餅粉や豆腐類、牛肉など、直哉は奈良の美味しいものにもちゃんと触れています。そして随筆は、次の一文で締めくくられています。
「兎に角(とにかく)、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残つてゐる建築も美しい。そして二つが互に溶けあつてゐる点は他に比を見ないと云つて差支へない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠(ざんけつ)が美しいやうに美しい。御蓋山(みかさやま)の紅葉は霜の降りやうで毎年同じには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。五月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も、奈良を憶(おも)ふ種となるだらう。」
ときに「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなる」とまで書いた志賀直哉。直哉が愛した景色は、大きく窓を取った旧居二階の客間から、今も一望できます。
若草山と御蓋山、その奥の春日山原始林、さらに高円山も見渡せる二階の客間
旧居の危機と直哉が好んだ「ささやきの小径」
直哉が去ったあとの邸宅は、戦後米軍が接収するなど紆余曲折を経ました。直哉没後の1975年には解体案が浮上、地元住民の保存活動が起こり、全国から数万の署名も集まりました。最終的に学校法人による全面保存と復元がなされ、奈良県有形文化財に指定、一般公開されています。
春日大社と志賀直哉旧居を結ぶ「下の禰宜道(ささやきの小径)」と馬酔木の花
旧居のすぐ北は、春日大社の二の鳥居につながる「下の禰宜道(しものねぎみち)」、通称「ささやきの小径(こみち)」の入口です。かつて神官たちが通った森の古道を、志賀直哉も好んで歩きました。2月から4月頃に咲く愛らしい馬酔木(あしび)の花が、100年前と変わらず木漏れ日にかがやきます。
登大路ホテルからのアクセス
奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居
奈良市高畑町1237-2
http://www.naragakuen.jp/sgnoy/index.html
・登大路ホテルから東南へ約1.8キロメートル
・奈良交通バス「破石町(わりいしちょう)」下車、東へ徒歩約5分(標識あり)
・開館時間 9:30~16:30(入館は16:00まで)
・12月28日~1月5日休館(セミナー開催や貸切による見学制限日あり)
※2026年1月現在の情報です。