若草山山頂の北半分には、前方後円墳があるのをご存じですか? そして、「鶯塚(うぐいすづか)」と名付けられたその古墳名は、ある古典文学に由来しているのですが、A~Cのいずれの作品でしょうか。
A. 紫式部の『源氏物語』
B. 清少納言の『枕草子』
C. 兼好法師の『徒然草』
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正解は、Bの『枕草子』です。清少納言がこの古墳を記した理由はいったい…。今回の登大路だよりでは、「若草山の歩き方」※1に続き、「若草山の歴史」についてご紹介します。
今回ご紹介する内容
1.清少納言の推し古墳?
2.若草山はいつから今の姿に?
3.牧場だった若草山?
1.清少納言の推し古墳?
若草山の山頂エリアには、奈良盆地を一望できる展望広場の北側にもう一段高い丘があり、入口には「国指定史跡 鶯塚古墳」の説明板があります※2。前方後円墳の形に沿って杭とロープで囲まれていますが、立入禁止ではありませんので、先へ進むことができます。この丘の頂上部が、342メートルの若草山山頂で、前方後円墳の「後円」部分になっています。
「鶯塚古墳」は若草山山頂にある前方後円墳
「鴬塚古墳」の名前の由来となったのが、清少納言※3の『枕草子』です。「春はあけぼの」ではじまる名随筆は、「夏は夜/秋は夕暮れ/冬はつとめて(早朝)」など、清少納言がすばらしいと思ったものを集めた、今風に言えば「私の推(お)し」を集めたエッセイ集。その中で、「みささぎは うぐひすのみささぎ」、つまり「陵墓は、鴬の陵が素敵」と記しているのです。どんなところが素敵だったのかは、ご本人に聞いてみないと分かりませんが(笑)、これだけ高い場所に古墳が作られるのは珍しいそうですから、眺望が素敵ということだったのかもしれません。
江戸時代に東大寺の僧が建てた石碑にも「鴬陵」の文字が
2.若草山はいつから今の姿に?
若草山は、いつから今のような姿になったのでしょうか。古文書などからは10世紀、平安時代中期には芝草に覆われた山になっていたと考えられ、その頃に「若草山」を詠んだ和歌も残されています※4。清少納言が『枕草子』を書き上げたとされる11世紀初頭には、今とそれほど変わらない姿になっていたかもしれません。とはいえ、古くからの一般的な呼び方は「葛尾(つづらお)山」、あるいは三つの笠を重ねたような姿から「三笠山」などと呼ばれることの方が多かったようです。
奈良になくてはならない景観を生み出している若草山
現在は毎冬に行われる「若草山焼き」については、古くから不定期に行われていたようです。そして、なぜ行われるのかについては諸説があります。一説は、芝草がよく育つよう山焼きをするという農耕的なもの。もう一説は、若草山に出没する幽霊を鎮めるために山焼きが必要だというもの。江戸時代には、幽霊を鎮めようとする放火が繰り返され、ふもとの手向山(たむけやま)八幡宮や東大寺三月堂にまで火の手が迫ることもたびたびだったことから、東大寺と興福寺と奈良奉行所が立ち合いのもと、日を決めて山を焼くようになったそうです※5。
地域の消防団員数百人が山焼きを支える
3.牧場だった若草山?
山焼きの後の若草山には、たくさんの蕨(わらび)が芽生えます。その根に含まれるでんぷんを集めたわらび粉は大変貴重で、砂糖を混ぜて作った「わらび餅」は、奈良名物として茶店で出されました。春夏秋冬を通して刻々と芝の色を変えてゆく若草山の姿は、遠くからもはっきり目にすることのできる、まさに奈良の名勝。ですが、明治維新後に着任した初代県令(現在の県知事)の発案によって、若草山には乳牛が放たれ、牧場になった時代もあったそうで、その数年間は山焼きも中止になったのだそうです。
「わらび餅」(出典:農林水産省HPにっぽん伝統食図鑑 奈良県
また、大正時代には1車両50人乗りのケーブルカーの申請や、エスカレーターを設置する計画が相次いで起こりました。が、いずれも自然保護などを理由に不許可に。さらに、当時は下駄を履いて登山する人が多く、芝生が傷むという理由で下駄での登山が禁止に。草履(ぞうり)を貸し出したり、芝の芽がでる春季を入山禁止にしたりと、試行錯誤があったようです。現在では、山焼きの前後4か月ほどが入山禁止の若草山※6。さまざまな時代をくぐり抜け、毎年春になると名前どおりの美しい姿を見せてくれる若草山は、奈良になくてはならない景観を生み出しています。
※トップ画像は「奈良名所古蹟一覧之図」部分(奈良県立図書情報館蔵)明治初期
※1 「若草山の歩き方」:https://www.noborioji.com/news/2765/
※2 鶯塚古墳:4世紀末から5世紀初めに築造されたと考えられる全長103メートルの前方後円墳で埴輪や鏡などが見つかっている。埋葬者は不明。頂上部の「鴬陵(うぐいすのみささぎ)」の石碑は、「享保十八年」(1733年)に東大寺の庸訓(ようきん)上人によって建てられたもので、石碑の背面には被葬者が仁徳天皇の皇后 磐之姫(いわのひめ)と伝わること、枕草子に書かれた鴬陵はここであることなどが記されている。「枕草子」には、「みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ」の3つの陵が記されている。鴬陵については、大阪府太子町にある孝徳天皇陵とする説もある。
※3 清少納言(せい・しょうなごん):966頃~1025年頃。清原元輔の娘で、父も祖父も代々歌人。一条天皇の中宮・藤原定子に女房として仕え、随筆『枕草子』のほか百人一首などに和歌を残した。
※4 若草山を詠んだ古い和歌:曽禰好忠(そねのよしただ、生没年不明、平安末期)の「春日野の若草山に立つ雉子のけさの羽音に目をさましつる」などがある。
※5 山焼きの立ち合い:明治政府による神仏分離令(いわゆる廃仏毀釈)までは、手向山八幡宮は東大寺の鎮守社、春日大社は興福寺の氏神としてそれぞれの寺院と一体化していた。そのため、若草山を挟む春日大社と手向山八幡ではなく両寺院が山焼きに立ち会った。
※6 若草山開山期間:毎年3月第3土曜日から12月第2日曜日の9時~17時(入山料150円)。山頂ゲートより上へは通年通行可能、出口専用ゲートは17時以降も利用可能(下記アクセス参考)。https://www.pref.nara.lg.jp/documents/2378/20251023155602.pdf
登大路ホテル奈良からのアクセス
【入山ゲートへ】
登大路ホテル前を東へ1.8キロメートル。
バスの場合は「春日大社本殿」下車、北へ約500メートル。
土日のみ運行の「奈良公園ぐるっとバス」は「若草山麓」下車すぐ。
【山頂へ】
「奈良奥山ドライブウェイ」(自動車専用道路、通年、時間制限あり)
https://shinwaka.com/
「若草ヒルトップバス」(奈良交通、若草山頂直行バス、2026年4月から12月、1日4便)
https://www.narakotsu.co.jp/temporary/wakakusa_hilltop-bus/
※2026年4月現在の情報です。