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2023.08.03

西大寺と叡尊上人

綴る奈良

近鉄奈良線、京都線、橿原線が乗り入れ、東西南北に近畿を結ぶ大和西大寺駅。その名の由来が、駅から数分の場所にある真言律宗総本山 西大寺です。かつて奈良文化財研究所で美術工芸研究室長をつとめた長谷川誠氏は、1965年に出版された小冊子『西大寺』の中で次のように述べています。

「この寺は由緒深い寺であるにもかかわらず、人々は、ここに人のこころをとらえて離さないひそかな美があることをあまり知らない。そこには草創期の歴史や、また鎌倉復興期の美術遺品がある。われわれはともすると古都にのこる華やかな美術遺品のみを求めすぎて、こうした、めだたないけれども正確な由緒をもち、さらにこころしずかに祖先の息づかいを実感させる遺品のあることを忘れがちである」

ー 駅からの道に面する西大寺の東門

| 女帝称徳天皇が発願した大寺院

毎年、新春と春秋の大茶盛式でよく知られた西大寺の創建は、天平宝字8(764)年、聖武天皇と光明皇后の一人娘、孝謙上皇(のち称徳天皇)の発願に始まります。造営当時の境域は三十一町(約48ヘクタール)もの広さに及び、父の聖武天皇が建てた東大寺に対する平城京の「西の大寺」として、四王堂や薬師金堂、弥勒金堂に東西両塔など、百以上の堂宇がひしめく大伽藍でした。

しかし、都が平安京へ遷されて以降は、度重なる火災などにより伽藍のほとんどを焼失します。創建当初から残るのは、四王堂にある四天王立像の足に踏みつけられている邪鬼と、本堂前にある東塔跡の礎石のみ。本堂の階段を上がったところから礎石を見ると、その大きさに往時の威容がしのばれます。

ー 創建当初の邪鬼が残る四王堂

ー 四王堂から本堂へ続く参道

ー 本堂前の東塔跡

| 叡尊上人が鎌倉時代に再興

衰退した西大寺を再興したのが、鎌倉時代の僧 興正菩薩 叡尊上人(こうしょうぼさつ えいそんしょうにん=1201~1290)です。興福寺の学侶の子として生まれた叡尊は、1235年西大寺に移り住んで本格的な復興につとめます。叡尊は、衆生を救うにはまず僧自らが守るべき生活規律である戒律を厳しく守らねばならないと考え、西大寺をその中心的な道場にしようとしました。

弱者救済のための社会福祉事業にも熱心だった叡尊の元には多くの人々が集まり、仏門に入りたい者は囚人や遊女から天皇まで立場を問わず戒律を授け、その教えを乞う人々の寄進で西大寺は復興します。しかし、およそ200年後の室町時代の戦乱で、西大寺は再び主要堂塔を焼失、現在みられる境内の様子は、ほとんどが江戸時代に整えられたものです。

ー 江戸時代の西大寺伽藍絵図(国会図書館蔵)

| 心静かに祈りたくなる仏像の数々

いくたびもの危機を乗り越えてきた西の大寺、西大寺。かつての伽藍は度重なる災いによって失われましたが、多くの仏像や宝物が今も残されています。

四王堂は、孝謙上皇が四天王像造立の請願を立てた「西大寺はじまりのお堂」ですが、前述のとおり、度重なる火災で四天王像は焼失。踏みつけられていた邪鬼だけが大火を耐え忍び、新しく作られた四天王に再び踏みつけられつつも、躍動感ある姿を見せてくれます。本尊の十一面観音立像は亀山上皇によって京都から移された約6メートルの巨像です。

本堂の本尊は、叡尊発願による釈迦如来立像です。中国宋から京都清凉寺に伝来した釈迦像を模刻させたもので、衣文の襞の美しさや動きだしそうな手のひらが印象的です。きりりと引き締まったお顔の文殊菩薩は、叡尊十三回忌に弟子たちがつくったもので、文殊菩薩を乗せる大きな獅子や4人の眷属(けんぞく)の変化にとんだ表情にも惹かれます。児童文学作家 灰谷健次郎の代表作『兎の眼』のタイトルは、眷属の一人である善財童子の、祈りに満ちた美しい眼から採られています。

ー 釈迦如来立像や文殊五尊像を安置する本堂

愛染堂には、叡尊80歳のときに弟子たちが作らせた肖像、興正菩薩叡尊坐像(国宝)のほか、叡尊の日々礼拝した念持仏(ねんじぶつ)の秘仏愛染明王坐像などが安置されています。1281年に起こった元寇の役(蒙古襲来)の際には、叡尊の祈願によってこの愛染明王の鏑矢(かぶらや)が西へ飛び、その風が蒙古軍を撤退させたのだとか。また、江戸時代に二代目市川團十郎の演じた「矢の根」は西大寺愛染明王に着想を得たもので、市川家の屋号 成田屋の十八番として受け継がれています。

ー 愛染明王や国宝の叡尊坐像を安置する愛染堂

西大寺にはこのほか、叡尊に始まる法会、「光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんどしゃかじだいほうえ)」が途切れることなく受け継がれています。一切の罪障が消滅するといわれる仏の真実の言葉、光明真言を唱えて浄めた土砂を撒けば、亡者は極楽往生を遂げ、田畑は五穀豊穣になるといわれ、毎年10月3日から5日にかけて昼夜を分かたず厳修され、法話なども行われます。

ー 6月初旬から8月には約100鉢の蓮が咲く

ー 鐘楼と大茶盛式の行われる光明殿

ー 年3回開館される聚宝館

ー 鎌倉から室町時代に建てられた南門

| 西大寺周辺に残るかつての面影

西大寺境内の北面の小道を西へ500メートル余り進むと、西大寺奥之院があります。ここには叡尊の五輪塔があります。没後ほどなく建立されたという巨大な五輪塔に向かうと、叡尊を慕った人々の思いの深さがしみじみと伝わってくるようです。

ー 奥之院にある興正菩薩叡尊上人五輪塔

ー 高さ約3.5メートルの叡尊上人五輪塔

周辺にはほかにも、西大寺復興のお礼にと叡尊が当時薬として貴重だった茶を献じ、さらに民衆にふるまって大茶盛式の由来となった鎮守の八幡神社や、十五の祭神を祀って西大寺内の安寧を祈った十五所神社などが住宅地の中に残り、往時をしのばせています。

ー 西大寺の西にある西大寺八幡神社鳥居

ー 森に包まれる西大寺八幡神社本殿

ー 踏切の北にある十五所神社参道

ー 住宅に囲まれた十五所神社

◇真言律宗総本山 西大寺へのアクセス
近鉄大和西大寺駅南口から南西へ徒歩約3分(約200メートル)

◇関連サイト

真言律宗総本山 西大寺

◇主な参考資料
『西大寺』長谷川誠 中央公論美術出版 1965
「週刊 古寺をゆく31 西大寺 秋篠寺」小学館 2001
『西大寺古絵図の世界』佐藤信 東京大学出版会 2005
『新版古寺巡礼 奈良4 西大寺』大矢實圓・道浦母都子ほか 淡交社 2010

※2022年3月現在の情報です。