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2023.08.03

奈良豆比古神社―翁舞と樟の巨樹

綴る奈良

奈良と京都の県境、奈良市奈良阪町にある「奈良豆比古(ならづひこ)神社」。ここで毎年10月8日に奉納されるのが、能楽のルーツといわれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている「翁舞(おきなまい)」です。また、本殿の奥の谷間には奈良県指定天然記念物の「樟(くす)の巨樹」が、樹齢千年を超えてなお、いきいきと葉をしげらせています。

| 京街道と奈良坂越え

ー 奈良豆比古神社入口

奈良公園バスターミナルから京街道を北へ2キロメートル余り、奈良の北の玄関口である「奈良阪」(「阪」の字は明治前期までは「坂」)の地名は、平安時代からみえる古い名称です。奈良山(平城山=ならやま、佐保佐紀丘陵)を越える道は「奈良坂越え」と呼ばれ、奈良時代には平城宮の真北にある歌姫(うたひめ)街道を指すことが多かったようです。しかし、都が平安京へうつり平城宮跡が田畑になってしまうと、東大寺や興福寺、春日大社などと都を結ぶ東の街道が、「奈良坂越え」と呼ばれるようになります。

江戸時代になると、東西に広大な「奈良坂村」のうち、京街道に面した町場のみが「奈良坂町」と町の扱いをうけるようになります。バイパスの西にあたる旧街道筋にある奈良豆比古神社には、かつて設置されていた高札(こうさつ=触書の掲示板)が復元されています。

ー 京街道に面して復元された高札場

| 三柱の祭神

奈良豆比古神社のご祭神は三柱。土地の守り神である平城津彦神(ならつひこ=奈良豆比古神)、天智天皇の皇子である施基(しき)親王(志貴皇子)、志貴皇子の皇子である春日王が祀られています。神社創建は志貴皇子の没後55年、春日王が亡くなってからでも26年が経った宝亀2(771)年のことで、志貴皇子の皇子であり春日王の弟にあたる白壁王が、光仁(こうにん)天皇として即位した翌年にあたります。

ー 奈良豆比古神社本殿

ー 「大和名所図会」に描かれた本殿三社(奈良県立図書情報館蔵)

ー 参道には「春日社」の灯籠が並ぶ

ー 楼門に飾られた翁舞の絵馬や写真

ー 翁舞が奉納される拝殿

「翁」とは、老翁の姿で現れた神が人々に祝福を与え、天下泰平を祝う芸能です。奈良豆比古神社の翁舞は、翁が三人並んで舞うことや、露払い役の千歳(せんざい)と狂言役の三番叟(さんばそう)の問答に古い形態が残ることなどから、1977年には奈良県の無形民俗文化財に、2000年には国の重要無形民俗文化財に指定された芸能史的にも重要な舞です。

秋祭りの宵宮である10月8日の午後8時前、かがり火が勢いよく音をたてる中、笛、小鼓から三番叟までの14人が順に拝殿へ。「アィヤー、オンハー」の掛け声とともに緊張感のある小鼓の音が境内に響き、いよいよ翁舞がはじまります。翌朝の本祭では鯉や野菜の神饌(しんせん)が供えられ、夜には榊(さかき)を頭に掲げた力士役の二人が、右左に分かれて3周する「相撲」が奉納されます。この時の掛け声「ホーオイ」は、豊作を願う「穂、多い」の意味が込められているのだそうです。

奈良豆比古神社では、この有名な翁舞のほかにも、年間計14もの宮座行事が粛々と行われており、境内はいつも清浄に保たれています。

ー 千歳は少年が演じる

ー 3人の翁が並んで舞う

ー 地元の人々が伝統を守る

ー 1月の奈良豆比古神社

ー 「弓始め」(1月20~26日の日曜)

神社には翁をはじめ20以上の舞楽面が伝わっており、普段は奈良国立博物館に保存されています。その中に、応永20(1413)年の刻銘があることから、少なくとも室町時代前期に現在と同様の翁舞が奉納されていたことがわかります。

祭神の一人である志貴皇子は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」などの歌を残す万葉集の代表的歌人の一人ですが、天武系の天皇が続く時代の中で、息子の春日王ともども政治的には不遇ともいえる生涯を送ったと考えられています。彼らの子孫には「伊勢物語」で知られる在原業平(ありわらのなりひら)もおり、文芸に秀でた家系だったのかもしれません。後世、大和猿楽の家に生まれ、のちに能を大成させた世阿弥(ぜあみ)の作品には、「井筒」をはじめとして伊勢物語を題材とした演目も多く、大和(奈良)がはぐくんだ文化の奥ゆきを改めて感じさせてくれます。

| 南都の記憶を刻む「樟の巨樹」

ー 樹齢千年を超える「樟の巨樹」

奈良豆比古神社の参道から、楼門の左手の宝亀殿の裏にまわると、本殿奥の谷の中央にある樟の巨樹が目に飛び込んできます。樹齢千年以上といわれ、奈良県の天然記念物に指定されているこの樟は、幹回りが約12.8メートル、樹高約30メートル、地上約7メートルのところで2枝に分かれ、さらにそれぞれ上方で分岐して直径約20メートルにわたり枝を張りめぐらせています。

写真ではどうしても伝えることのできない圧倒的な存在感で、奈良阪に根を張りつづける樟の巨樹。平家による南都焼討の炎も、再建された大仏開眼供養に参列した源頼朝の行列の記憶も、この巨樹の年輪に刻みこまれているのかもしれません。

ー 根元にかけられたしめ縄

ー 圧倒的な存在感

◇奈良豆比古神社へのアクセス
近鉄奈良駅前から奈良交通バスで「奈良阪」下車、南へすぐ。

◇関連サイト

奈良豆比古神社

◇主な参考文献
『能楽と奈良』表章 奈良市 1980
『角川日本地名大辞典29奈良県』角川書店 1990
『奈良阪町史』村田昌三 1996
『奈良の巨樹たち』グリーンあすなら 1998
『奈良豆比古神社の祭礼と芸能』奈良地域伝統文化保存協議会 2006

※2022年9月現在の情報です。