NEWS

2023.08.02

奈良と鹿

綴る奈良

鹿と人が、互いに驚くこともなく街や公園を行きかう奈良市中心部。世界でも極めて珍しい「奈良のシカ」は、国の天然記念物に指定されている、れっきとした野生動物(ニホンジカ)です。古来、「神の使い」「神鹿」として扱われ、死なせた場合は死罪さえ免れなかったという鹿たちと、奈良の人々はどのようにくらしてきたのでしょうか。そこには1250余年続く、鹿と人の共生の模索があります。

| 春日神鹿

奈良時代に創建された春日大社には、4つの本殿に各地から迎えた4柱の神が祀られています。その第1殿に祀られるのが、神護景雲2(768)年に白鹿に乗って常陸国(ひたちのくに=今の茨城県)から春日大社の神山 御蓋山(みかさやま)に降り立ったと伝えられる、武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

ー 若草山から見た御蓋山と春日山原始林

ー 春日大社参道の鹿

「神の使い」であった鹿はやがて、春日大社を氏神とする藤原氏を中心に神聖化され、「神鹿」となっていきます。平安時代後期の公卿、藤原宗忠の日記「中右記(ちゅうゆうき)」には、春日社参詣の際に鹿50頭と遭遇して歓喜したことや、鹿を見つけたので車から降りて拝礼したことなどが記されています。また、榊の枝と御神体を乗せた「春日(鹿)曼荼羅」や春日明神の霊験を描いた「春日権現験記」など、信仰と結びついた鹿の姿は、多くの絵師によってくりかえし描かれてきました。

ー 春日曼荼羅(冷泉為恭画 国立国会図書館蔵)

ー 春日権現験記(板橋貫雄模写 国立国会図書館蔵)

| 「早起きは三文の徳」は奈良発祥?

奈良の鹿が神格化され特別な存在になるにつれ、近隣農民は田畑を荒らす鹿に頭を抱えることになります。鎌倉時代に春日若宮社神主が記した「中臣祐賢(すけかた)記」には、鹿が野外に出て穀物を荒らすことのないように町を塀で囲ったことや、町では犬を飼わず、出産時期には野犬を追い出して子鹿を守ったことなどが書かれています。江戸時代中期の「奈良町絵図」にも柵のような図柄で「鹿垣(ししがき)」が描かれており、鹿たちは春日山原始林や御蓋山一帯から社寺や町場を行き来していたことがわかります。

現在、近鉄奈良駅北側の商店街になっている東向北町(ひがしむききたまち)には、江戸時代初期から明治時代までの出来事を記した『萬大帳(よろずおおちょう、奈良市指定文化財)』が残されています。その中には、町内で鹿が死んでいたときの「清め銭」についての記載もみられます。1787年6月の項には、隣接する3町の境界上で死んでいた鹿について所管する興福寺に届け出たところ、3町すべてに浄め銭が課せられ、減額の要望も認められなかったという記述も。ことわざの「早起きは三文の徳」に奈良発祥説があるのは、これらの清め銭が関係しているともいわれています。

さらに、鹿を殺害してしまった場合は、理由を問わず死罪が言い渡されることもありました。興福寺五重塔南にある菩提院には、誤って鹿を死なせた小僧の三作が石や瓦で生埋めにされる「石子詰め」の刑に処された悲しい話が伝わります。

ー 奈良坂周辺の鹿垣(「奈良町絵図」部分、奈良市文化財課 史料保存館蔵)

ー 茶屋の客と鹿(「大和名所図会」 奈良県立図書情報館蔵)

| 鹿と人の共生へ

明治時代になり、鹿の扱いは一変します。鹿垣はなくなり、1871年には県令によって鹿は害獣とされて減少。すると県は一転して鹿園を設け、700頭以上の鹿を保護します。しかし今度は、エサ不足や狭い場所での衝突などから保護鹿は38頭まで激減。その後、鹿の禁猟区が設けられるなど鹿対策は混乱しますが、1891年には現在活動する「奈良の鹿愛護会」の前身、「春日神鹿保護会」が創設されました。それからも戦中戦後の食糧難に鹿の密猟が増えるなどの受難はありましたが、1947年に「奈良のシカ」が国の天然記念物に指定され、現在では1200頭余りの鹿が奈良公園一帯に生息しています。

ー 中央2つの枠が「鹿園」
(「大和国奈良細見図」部分 1874 奈良県立図書情報館蔵)

ー 早朝、春日野園地で草を食べる鹿

ー 夏毛へ生え変わる時期の鹿はモサモサ

ー 夏毛にしか現れない斑点「鹿の子模様」

奈良のシカは近年、新たな危機に直面しています。2020年度の鹿の交通事故は122件、うち63頭が命を落としています。鹿は日の出とともに「泊まり場」から草のある「採食場」へ移動し、日中はゆったりと「休み場」で過ごし、夕方に草を食べながら「泊まり場」に戻る習性がありますが、途中に車道が多く、事故が多発しています。

ー 公園付近以外でも鹿の飛び出しには要注意

また、亡くなった鹿の胃からポリ袋など数キロのゴミが見つかったショッキングなニュースも報道されました。「鹿苑」は子鹿の公開や鹿の角きりを行う場だけでなく、交通事故や病気の鹿の療養施設も兼ねているほか、年間を通して奈良のシカに関する資料展示やエサやり体験コーナーが一般公開されています。

ー 「鹿苑」は春日大社参道と飛火野園地の間にある

| 一度は見たい「小鹿の公開」

鹿の出産シーズンは、6月をピークに数か月続きます。母鹿はまわりに対して攻撃的になるため、できるだけ鹿苑に保護して出産にのぞみます。子鹿たちは毎年6月に公開され、7月には母鹿とともに公園に放たれます。動きのゆっくりした子鹿を見かけることがあるかもしれませんが、不用意にさわってしまうことで、人間のにおいを嫌った母鹿に育児放棄される悲劇も発生しています。奈良の景色になくてはならない新しい鹿のいのち、気持ちは寄り添いつつも遠くから見守りたいものですね。

ー 「子鹿の公開」中に突然お産が始まることも

ー 子鹿の集団は鹿苑だけの特別な風景

ー 保護した母鹿と子鹿が公開される鹿苑

◇鹿苑へのアクセス
近鉄奈良駅からバス「春日大社表参道」下車、参道を東南へ徒歩約7分(約500メートル)

◇関連サイト

鹿苑(奈良の鹿愛護会)

◇主な参考資料
「大和志」創刊号 大和国史会 1934
「天然記念物「奈良のシカ」総合調査報告書」奈良県教育委員会 2006
「東向北町に残る240年の記録 萬大帳をのぞいてみよう!」東向北商店街振興組合 2014
「月刊大和路ならら」2019年1月号

※2022年4月現在の情報です。