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2023.08.02

暗峠と暗越奈良街道

綴る奈良
暗峠

山道の登りつめた場所を意味する「峠」。〈山+上+下〉の文字は日本でつくられた漢字「国字」であり、〈とうげ〉の読み方は道の神に物を供えて旅の無事を祈る「手向(たむけ)」が転じたものといわれます。トンネルやバイパス道路のなかった時代、生活圏を越える移動や運搬のために、人々は峠を往来してきました。奈良と大阪を結ぶ「暗峠(くらがりとうげ)」周辺には、今もわずかながら往時の風情が残されています。

| 奈良と大阪をむすぶ最短ルート

生駒山

ー 大阪側から見た生駒山 中央奥が暗峠

奈良と大阪を隔てる標高642メートルの生駒山には、古くから幾通りもの峠道がありました。なかでも両都を最短でむすぶのが、現在「暗越(くらがりごえ)奈良街道」と呼ばれる道です。両起点には諸説ありますが、明治初期に里程元標ができた大阪市中央区中之島公園の南にある高麗橋から、奈良市三条通りを東進して春日大社までの全長約37キロメートルを指すことが多いようです。

東大寺大仏造立に奔走した行基菩薩、大仏開眼供養の導師をつとめたインドの僧 菩提僊那(ぼだいせんな)や6度目の航海で日本にたどり着いた鑑真和上、大和郡山を治めた豊臣秀長、あるいは井原西鶴や松尾芭蕉、与謝蕪村といった文人もみな、この暗峠を越えました。幕末に来日した初代イギリス公使オールコックは、日本滞在記『大君の都』の中で、初夏にこの峠を大阪側から越えた際、大名行列に出会ったことなどを記しています。

江戸時代の暗峠「河内名所図会」(1801)国会図書館蔵

ー 江戸時代の暗峠「河内名所図会」(1801)国会図書館蔵

「椋嶺(くらがね)峠」などとも呼ばれていた「暗峠」。また、「奈良街道」とは大阪から奈良へ向かうときの名称で、奈良の人は大阪へ向かう道、つまり「大阪街道」と呼んだようです。暗峠の標高は455メートルで、江戸時代後半に描かれた「河内名所図会」には、多くの旅籠や茶屋が描かれています。20世紀初め頃までは、大阪を出発した旅人を自らの宿に迎え入れようと、奈良町の旅館の人たちが峠まで大八車で出向き、荷物を預かっていたのだとか。

竜田川と生駒山

ー 南生駒駅近くから見た竜田川と生駒山

峠までの距離は、大阪側の近鉄奈良線枚岡(ひらおか)駅から約3キロメートル、奈良側の近鉄生駒線南生駒駅から約4キロメートルで、近年はハイキングルートとして親しまれています。ハイキングの場合、大阪側からよりも勾配のゆるい、南生駒側からのぼるのがおすすめです。また、南生駒駅前から暗峠までは、市のコミュニティバスが平日限定で数本走っています

旧街道

ー 南生駒駅南の橋を渡って右手の細道が旧街道

古い町並み

ー ところどころに古い町並みが残る

暗峠_旧街道

ー 駅から1キロメートル程で坂道に

| 点在する石仏と棚田

藤尾町石造阿弥陀如来立像

ー 藤尾町石造阿弥陀如来立像

峠への道には、古い石仏が点在しています。南生駒駅から暗峠までの中程にある藤尾町の旧道には、1270年につくられた石造阿弥陀如来立像の美しい線彫が今も残されています。道中には鎌倉時代から室町時代にかけてつくられた石仏や摩崖仏もあり、姿を変えてゆく街道のなかで、道中の無事を祈った旅人たちを彷彿させてくれます。

奈良側から暗峠を目指して棚田が見えてきたあたりからが、西畑の集落です。美しい棚田の景観は、地元の人たちに加え、自然環境の保全に取り組むボランティアグループや、大松明に使う麦を育てる往馬(いこま)大社火祭保存会などの活動によって守られています。

ひっそり祀られる石仏

ー ひっそり祀られる石仏

犬養孝氏揮毫の万葉歌碑と石仏群

ー 犬養孝氏揮毫の万葉歌碑と石仏群

往馬大社の火祭りに使う「御小麦畑」

ー 往馬大社の火祭りに使う「御小麦畑」

信貴生駒スカイラインの下を通る小さなトンネルが見えてきたら、峠まではもうすぐです。トンネルの手前に「山小舎カフェ友遊由」が、トンネルを抜けた石畳に面して「峠の茶屋すえひろ」があり、ランチや手作りケーキなどが楽しめます。峠付近に残る石畳は江戸時代のもので、一帯は「日本の道百選」にも選ばれています。峠を横切る細い踏み分け道を北へ進むと、生駒山上遊園地に出ることもできます。

暗峠_山小舎カフェ友遊由

ー 店内からの景色がすばらしい「山小舎カフェ友遊由」

暗峠_「峠の茶屋すえひろ」

ー オリジナルグッズも置く「峠の茶屋すえひろ」

江戸時代の石畳が残る暗峠

ー 江戸時代の石畳が残る暗峠

| 急勾配の続く「酷道」

1914年に近鉄奈良線(当時は大阪電気軌道)の生駒トンネルが完成してからも、峠道は物資を運ぶ生活道路として利用され、1970年には「国道308号」に制定されました。しかし、大阪側の坂道がとりわけ急勾配であることや、車のすれ違いが困難な箇所も多いことから、「酷道」として取り上げられることもしばしばです。時折通る車からは、タイヤの焼けるような匂いが漂うことも。

伊勢参宮道としてもにぎわった街道

ー 伊勢参宮道としてもにぎわった街道

眼下に広がる大阪平野

ー 眼下に広がる大阪平野

1694年秋、病をおしてこの急坂を大坂へ向かったのが「奥の細道」で知られある松尾芭蕉でした。旧暦9月9日に「菊の香にくらがり登る節句かな」の句を詠んだ芭蕉は、ひと月後に大坂で「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を詠んでまもなく、帰らぬ人となりました。没後百年に建てられた句碑は山津波にのまれて行方不明となり、現在街道沿いにある句碑は1890年に再建されました。

六甲山地まで見渡すことができる

ー 六甲山地まで見渡すことができる

暗越が最後の旅となった芭蕉の句碑

ー 暗越が最後の旅となった芭蕉の句碑

街の喧騒が聞こえてきたら、近鉄奈良線まではもうすぐです。暗越奈良街道は高架下をさらに西へと延びますが、左(南)へ曲がると「枚岡(ひらおか)大社」へ。神社前の階段の下が枚岡駅です。「河内国一之宮」と呼ばれるこの神社は、768年に二神を奈良の春日大社へ分祀したことから「元春日」とも呼ばれるなど、奈良とも深いかかわりがあります。

河内国一之宮 枚岡大社

ー 街道を南に折れると河内国一之宮 枚岡大社へ

枚岡大社の別名は「元春日」

ー 枚岡大社の別名は「元春日」

◇暗峠へのアクセス
近鉄生駒線南生駒駅下車、西へ徒歩約1時間30分(約4キロメートル)。または、生駒市コミュニティバス西畑有里線「南生駒駅」から終点「暗峠」下車、トンネルを抜けてすぐ
(バスは土日祝運休)

◇関連サイト

山小舎カフェ友遊由 生駒市コミュニティバス

◇主な参考資料
『大君の都 幕末日本滞在記』(中) オールコック著 山口光朔訳 岩波文庫 1962
『奈良の街道筋』(上) 青山茂 思草社 1989
『ハンドブック 生駒の歴史と文化』生駒市教育委員会 2008
『暗越奈良街道 ガイドブック2012』読書館 2012
『暗越奈良街道を歩いた旅人たち 歩いて知る街道の歴史』杉山三記雄 読書館 2017

※2021年10月現在の情報です。