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2023.08.02

山の辺の道 ― 柳本から三輪、桜井 ―

綴る奈良

大和盆地の東の山裾を結ぶ「山の辺の道」。日本最古といわれる古道のうち、現在ではJR桜井線(万葉まほろば線)天理駅から桜井駅の東を南北に延びる約16キロメートルがハイキングコースとして整備されています。前回ご紹介した北半分に続き、今回は天理市柳本から桜井市三輪、金屋に延びる南半分のコースをご紹介します。

| 三角縁神獣鏡が多数出土した黒塚古墳

柳本駅から山の辺の道に入るには、旧柳本藩の中心地を横切って東へ1キロメートルほど進みます。その道中でぜひ訪れておきたいのが、黒塚古墳と天理市立黒塚古墳展示室です。3世紀後半の前方後円墳である黒塚古墳は、戦国時代には城郭として利用され、のちに織田信長の弟 織田有楽斎(うらくさい)の息子が入城、幕末まで織田家が治めた柳本藩邸の敷地内にありました。

ー 現在は柳本公園になっている黒塚古墳

黒塚古墳からは、1997年の発掘調査で竪穴式石室がほぼ未盗掘で見つかり、33面もの三角縁神獣鏡や多くの副葬品が出土、初期ヤマト王権の有力者の墓として大きな話題となりました。隣接する2階建の展示室には、発掘時の様子を再現した実物大の石室や三角縁神獣鏡の精巧なレプリカ、大和(おおやまと)古墳群の解説パネルが展示されています。

天理市立黒塚古墳展示室

ー 発掘時の様子を実物大で再現した石室

| 古墳をめぐる山の辺の道

ー 水辺の景色も美しい崇神天皇陵付近

黒塚古墳から国道169号線を東へ渡って目に入るのが、全長242メートルの崇神(すじん)天皇陵(行燈山〈あんどんやま〉古墳)です。「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」の別名を持つ第10代崇神天皇は、実在した最初の天皇だといわれています。古墳は丘陵の斜面にあるため、北西の周濠はかなり高い堤の上にあります。これは江戸時代末期に柳本藩が行った改修によって整備拡張されたもので、潅漑用水としても利用されたのだとか。崇神天皇陵と櫛山古墳との間の小道を抜けると、二上山、金剛葛城山系まで見渡せる景色が爽快です。

ー 盆地に目をやると耳成山(右手前)と畝傍山が

やや高低差のある渋谷(しぶたに)の集落を抜けると、今度は崇神天皇の孫でありヤマトタケルの父である第12代景行天皇の御陵とされる全長約300メートルの巨大な渋谷向山古墳が目に入ります。渋谷の南、穴師(あなし)の里には、景行天皇が治めた纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)跡伝承地があり、初期ヤマト王権発祥の地といわれる纒向遺跡一帯を見渡すことができます。

| 檜原神社から玄賓庵

箸中(はしなか)集落を巻向川に沿って上り、青垣国定公園の一段と高くなった遊歩道から見渡す大和盆地も格別です。道なりに進むと、大神(おおみわ)神社摂社「檜原(ひばら)神社」の境内へ。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が伊勢神宮に遷座する前からご祭神として祀ることから「元伊勢」とも呼ばれます。〆柱の間から見える二上山にちょうど夕日が沈むのは、春分秋分の頃です。

ー 檜原神社から見える二上山

ー 木漏れ日の美しい山道がつづく

檜原神社から足元に注意しつつ山道を進むと、数分で玄賓庵(げんぴあん)の白壁が見えてきます。玄賓(げんぴん)は平安初期の僧で、平城天皇に請われて山奥での隠遁生活をやめ、この地に留まったとされます。能「三輪」では、女人の姿をした三輪明神が玄賓僧都のもとを訪れて衣を借りてゆく場面があり、その衣を掛けたという杉が大神神社に残ります。

ー 白壁の美しい玄賓庵

| 狭井神社から大神神社

玄賓庵からさらに1キロメートルほど石畳を道なりに進むと、病気平癒の神様として厚く信仰される大神神社摂社の「狭井(さい)神社」に到着します。ここからは大神神社境内となり、拝殿まで各摂社や新造された祈祷殿などが続きます

ー 山の辺の道と接する狭井神社参道

ー 大神神社拝殿と巳の神杉

古代から聖なる山とされ、円錐形の秀麗な姿を見せる三輪山(みわやま)をご神体とする大神神社は、大和国一の宮、三輪明神、三輪さんなどと呼ばれる日本最古の神社です。祭神の大物主(おおものぬし)大神、大己貴(おおなむち)大神、少彦名(すくなひこな)大神は山中の磐座(いわくら)に鎮まるため本殿はなく、拝殿奥の「三ツ鳥居」を通して、三輪山を拝します。拝殿前にある樹齢約400年の大杉は「巳の神杉(みのかみすぎ)」と呼ばれ、根元の洞に棲む蛇「巳(みい)さん」に供える卵やお神酒は絶えることがありません。

| 平等寺から金屋の石仏へ

大神神社から三輪駅に向かうこともできますが、体力と時間に余裕があれば、山の辺の道の南の起点まで足をのばしてみたいものです。拝殿脇の小道をさらに南へ300メートルほど進んだところにあるのが、聖徳太子開基とされ、かつては大神神社の神宮寺であった平等寺です。

ー 廃仏毀釈から復興した平等寺

ー 2メートルを超える金屋の石仏

鎌倉時代に大伽藍を有した平等寺は、明治の廃仏毀釈で一度は廃絶、1977年に復興を果たした寺院です。本堂正面の赤門から平等寺川に降りて小道を進むと、廃仏毀釈の折に平等寺から運ばれたとされる「金屋(かなや)の石仏」の収蔵庫があります。保存のため格子越しの拝観となりますが、釈迦如来と弥勒如来が浮き彫りにされた2体の石仏は、平安時代後期以降のものとみられています。

| 南の起点、海柘榴市と初瀬川

ー 海柘榴市があった金屋の町並み

山の辺の道の伝説としてよく語られるのが、雄略天皇に恋人との仲を裂かれた影媛(かげひめ)の物語です。『日本書紀』には、山の辺の道をたどりつつ恋人の死を嘆く影媛の歌が記されています。悲劇の発端となった場所が「海柘榴市(つばいち)」でした。最古の市場、男女の集う歌垣の広場として知られた海柘榴市のあった金屋は、長谷寺詣での宿場としても栄えました。すぐ南を流れる初瀬川(大和川)は大阪湾へとつながっており、百済王使節が仏教を伝えた地とされるこの地が、山の辺の道の南の起点ということになります。

ー 山の辺の道の南の起点「仏教伝来之地碑」

ー 大陸文化がもたらされた初瀬川

最寄り駅の桜井駅は、ここから南西に1.5キロメートルほどです。初瀬川の南、中和幹線(県道105号線)の高架下を渡ると景色は一気に現代に引き戻されます。しかし、振り返ると見え隠れする三輪山は、古代から変わらぬ美しい姿を私たちに見せてくれます。ここからは大通りに沿っていくか、歩きやすい道を選んで駅の方角へ向かいます。南北にJR万葉まほろば線、東西に近鉄大阪線が走り、今もこの地を奈良、大阪、名古屋などと結んでいます。

ー JR・近鉄桜井駅(北側)

◇おすすめ記事

山の辺の道 ― 石上神宮から長岳寺 ―

◇天理市立黒塚古墳展示館へのアクセス
JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅下車、東へ徒歩約5分

◇大神神社へのアクセス
JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅から東へ徒歩約5分(約500メートル)

◇平等寺へのアクセス
JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅下車、東へ徒歩約10分(約1キロメートル)

金屋の石仏へのアクセス
JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅下車、東へ徒歩約15分(約1キロメートル)

◇関連サイト

天理市立黒塚古墳展示館 檜原神社 玄賓庵 狭井神社 大神神社 平等寺 金屋の石仏

◇主な参考資料
『山の辺の道』朝日新聞奈良支局編 創元社 1971
『山辺の道 近畿日本ブックス12』近畿文化会 綜芸舎 1987
『大神神社と山の辺の道 ガイドブック』大神神社 2002
『わが萬葉集への道』栢木喜一 北羊館 2003
『大和路の旅』上田正昭 角川学芸出版 2010

※2021年5月現在の情報です。